沈黙は金、雄弁は銀なり

日常の出来事や思ったことを書いていきます

今の現状

みなさん、こんにちは。
ここ最近はとても暑く昼間は39度になってたりしています。
なのに私の家にはクーラーがなく、日々修行状態にあります。
ちなみに家には木魚も畳もあるので、あとは頭を丸めてしまえばいつでもお坊さんになれる修行ができます(笑)


私は今、法律を勉強しています。
学問をしています、と言えるレベルにはまだまだ時間がかかりそうです。昔から短期間で力を出し切るのが得意だった私は、中間テスト、期末テスト、短距離走といったものが得意でした。なので、弁理士になる夢を叶えるまで、まだまだ道が長いので、マラソンを走るかのように最後まで完走したいと思います。


さて、何故私が弁理士になりたいのかといいますと私の祖父は大学で法律を教えており生前は学部長をしていました。その影響で幼いころから法律に興味はありましたが、日本にいるときは理系の大学に進みました。その頃は国語が苦手で、化学や数学と言ったものが大好きでした。そして、日本の大学を辞め台湾でもう一度受験し日本語学科に入学しました。台湾の大学の先生は決して日本語がうまいわけでありません。ただ日本語の文法を教えるプロであることに間違いないですが。と、まぁそのまま順調に4回生まで行ったとき、親父と話し合うことがありました。それは、通信教育ではあるが法学の道を進んでみないかという物でした。
初めに誤解がないように皆さんに言っておきますが、私はバカです。
その話を聞いたとき、面白そうと思ったのが初めに生まれた感情でした。日本にいる時も、私がいうのもあれですが、世間一般的に一流大学と言われている大学に合格して、やめた経歴を持っています。
それまでは、いい大学に入学することしか考えておらず、入学すると本当にこれがやりたかったのか疑問を持ちました。台湾に来てからも大学に行くため、学部はどうでもいいという気持ちがずっとあり、ただいい大学に行くために勉強していました。
確かに卒業までもうすぐ、卒業してからまた始めればいいと皆さんはお思いになるかもしれませんが、私は背水の陣で真剣に望みたいと考え4回生ではありましたが大学を辞めました。なので、今は1回生です。
私は何か選択をする際、迷ったときは、面白そうな方を選ぶと決めています。
もちろん人間ですから、損得勘定も考えます。しかし、誰が22歳で卒業して社会に出て働かなければならないと決めたんだ。人生は一回、やりたいことを最後までやりきる!という思いを心の中に秘め日々頑張っています。


結果が出るまで私の言っていることは誰も聞いてはくれないでしょう。
しかし、いつか結果を出し、その時このブログの内容を振り返って読んだとき「あ~、あの時は大変だったな、クーラーなくて死に…」←じゃなくて(笑)、「あ~あの時大変だったけど頑張って良かった」と思えるように頑張りたいです。


以上!

仲間とは?

皆さんには「仲間」はいますか。
そもそも「仲間」と何なのか
仲間というのは(コトバンク 仲間)と調べると、いくつか候補が出て来ましたが、一番私たちの生活になじんでいるのは
「一緒に物事をすること」ではないでしょうか。
あなたにとっての「仲間」とは何ですか?
仲間という言葉はあまりにも多義的であり、広義の意味では友達的な意味で使われ、狭義の意味ではコトバンクで調べた意味プラス友達、または家族のような存在で使われることが多いのではないでしょうか。
正直、私も仲間の定義をいまいち把握していません。
しかし、以前家族の間で別件で話し合いを行った際、
私は「これから先、年老いても周りに友がいてご飯を食べたり、どこかに出かけたい。本当の友達っていうのは自分が困っていた時、すぐ手を差し伸べてくれる人、何でも相談しあえる人であって、昨日今日知り合って少し話しただけの人は友達とも呼べないし、ましてやクラスメートはあくまでもクラスメートであって卒業してからも連絡を取り合うことはまずない」と言いました。その話の流れで、私は親に「そういう意味での友達っていうのは二人にはいない」と言いました。もちろん怒られましたが、中国語が話せない母に現地の人と私の言う友達関係は築けるのか?という疑問がわいてきました。それに私が知りうる限りでは、日本の友人とも連絡を取っていません。
しかし父は我々には「仲間がいる」と言いました。同じ目標を持って苦楽を共にする仲間がいると。そういう意味では、恐らく言葉の壁を越えたもの、つまり心と心の問題なのか、と理解しました。
しかし問題はここからです。
先日、色々ありお金に困っていた時期がありました。
しかし、親は仲間に頼らず全くの第三者に頼りました。親曰く、仲間に頼ると信用を失うだそうです。つまり親の中では家族会議の際に言っていた仲間は(仲間>友達)であったのにもかかわらず、金銭的な話になると仲間には頼れないというのは私の中で引っかかっている点です。私の友人は手を差し伸べてくれます、私も無償で友を助けに行きます。それが友だと思っています。
結果的に親は友達はいない、しかし仲間はいる。しかし、その仲間はあくまでも形式的な物であって実体を伴っていないもののような気がします。


皆さんにとっての仲間とはなんですか。

初めてのブログ1

初めブログを書くので見やすく打つっていうのはどういうことなのかよくわかりませんが、暖かく応援してください!


私は大きな夢があります!それは弁理士になることです!
そのために今もう一度大学に通って法律を勉強しています。
通信教育ですが、私の頭のレベルは言うまでもなくダメダメでした。
何回書いても、不合格で少しショックを受けたのですが、一番のショックは自分のどこが駄目なのかが見えないことです。もちろん不合格ぐらいで夢を諦めたりはしません。
合格できるまで何回も何回も挑戦するつもりですが、合格するためには自己分析をしないといけないと感じました。
そこで行き着いた答えが、
1、私が海外にいること。
2、参考資料が海外発送するととても高い。
3、私の給料では大学の指定する参考資料を買いそろえることは難しい
4、実際にスクーリングに参加して法の全体像をつかむ


と、まぁ問題だらけでいくら自己分析をしても尽きることがないので、一層のこと日本に帰ろうと思いました。


なので、今年中にお金を貯めて日本に帰ります。
これでも、ずっとE判定だったら本当にバカで才能がないですね(笑


皆さんには夢がありますか?
確かに夢で飯は食えないし、人の夢と書いては儚いと読みますが
私はできると信じているので頑張ります!まずは自分が自分を信じないと!
以上、初ブログでした。ありがとうございます。


写真は全く関係ありませんが、台湾の写真も少しずつ上げていきます!
ちなみにこの写真は鶯歌のお店です。
アップロードできているかわかりませんが笑